第004回目

一番館の行動指針の誕生②

私は一番館を設立してしばらくして、従業員さんを雇うようになりました。

しかし、従業員さんと思いがあまりにもかけ離れているため思い悩み、経営をしていく上で理念を実現するための行動指針が必要ではないかと考えるようになりました。

つまり、会社を運営するのに必要となる哲学、つまり一番館の行動指針を社員に話し、社員と共にそれを実践してきました。

振り返ってみると、個人事業として私個人が生活できるレベルの商いができるようになり、次に法人化をして社会に貢献できるようになり、2003年(平成15年)過労のため帯状疱疹という左耳が痛くなる病気を患って、左耳の周辺が動かなくなる病気で1週間の入院をきっかけに、家族だけでは回らなくなったことを素直に認めて従業員さんを雇うようになり、もがき苦しんでいる最中2008年のリーマンショックや2011年3月11日の大地震も乗り切り、衰退業種である写真焼き付け業や競争の激しいOA機器業界にもかかわらず、今日の有限会社一番館があるのだろうと思います。

その行動指針の話を始める前に、もう少し詳しく一番館の「行動指針」がどのような過程を経て生まれたかということに触れたいと思います。

現在の都島区とリーマンショックの2008年に閉鎖をした豊中市の2店舗があり、父と母が中心で1人~2人の従業員さんにシフトに入ってもらいながらやりくりをしていました。
時代が大きく変わり始めたのが1995年にWindows95が発売され、デジタルカメラが予想以上に早く普及した頃からです。

1996年、デジタル機器を扱う部門を作り、豊中市緑ヶ丘の4畳半くらいの部屋を作り何もないところからのスタートでした。
1997年12月24日、有限会社一番館を設立しました。

設立してから7年後に赤ちゃんができ、家のリフォームをしている最中、過労のため帯状疱疹をわずらい1週間入院をし、家族だけではどうしても回らなくなり従業員さんを雇うようになりました。

しかし、従業員さんと私の思いは天と地の差がありました。

そんな思い悩んでいる時、株式会社あさひの下田元会長に誘われて盛和塾に入塾し、京セラの稲盛さんの理念・哲学をはじめ、Panasonicの町のお店のオーナーを育成する松下商学院やファミリーの稲田社長やフェリシモの矢崎会長などからたくさんのアドバイスを受けて一番館の行動指針ができあがりました。

株式会社あさひ 下田元会長が2016年8月3日永眠されました。
こころよりご冥福をお祈り申し上げます。(黙祷

コメント

小泉社長

(2019/05/26 23:59)
第4回目《一番館の行動指針の誕生②》はいかがでしたか?

私は、仕事のテクニックいわゆる仕事のやり方よりも、社会に出るためにはどういう心構えで挑むのかという心のあり方が大切だと思っております。
それは仕事とは知識でするものではなく、人間性でするものだと思っているからです。

新入社員さんから仕事のテクニックから教えてほしいとよく言われます。
しかし、心の在り方を知らずして仕事を身につけたとしても、良い方向には向かわないことを経験しております。
つまり、心のあり方なしに仕事のやり方をお伝えしても良い方向に向かわず、逆に心の在り方さえしっかりしていれば仕事のやり方は自分で考えられるようになると思っております。

この行動指針には、人として大切なことや、何のために働くのかについていろんな角度から話ております。
この行動指針では、あり方をきっちり身につけて良い仕事ができる人、必要とされる人になってみんな幸せになって欲しい、そんなふうに願っております。

小崎さん

(2018/06/27 13:13)
日々勉強し、行動指針を忘れない様努力したい。

鈴木さん

(2019/08/07 13:33)
仕事に対する心構えによって仕事の質は確実に変化します。
共に働く人たちが同じ目線であれば環境としてとても善いと思います。


  1. 宮﨑さん より:

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