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第122回目

考え方こそが人生を決め、運命を変える

一般に、学校ではどんな考え方をするか、どんな思想を持つかということは個人の自由であり、自由な発想、自由な思想を持つことこそ、人間に許された素晴らしい権利なのだ、と教わります。
その中で、一部のインテリタイプの人間だけがそのようなことを口にしながらも実行能力がありますから素晴らしい人生を実現していくように思います。

1000人いれば1000人、万人いれば万人、それぞれ異なった人生を送っている。
それが社会というものだ。
だから、どういう考え方、思想を持つのかなど、まさに自由なのだ。
これが、現代人の基本的な考え方ですがほとんどの方がうまく行っていないように感じます。

たしかに、どんな考え方を持つのも自由だと思います。
しかし、その自由の中で自分がどのような考え方を選択するかによって、自らの人生、運命が決まってしまうということを判っていらっしゃる方はどれだけいるでしょうか。

人生の方程式からいえば、自由である考え方、自由である心、自由である思想、哲学、その選び方によって、人生は180度変わってしまうわけです。

ところが、これほど重大なことに、ほんの1部の人だけは気づいていて、多くの人は気づいていません。
また、学校教育では教えることを禁止しているのか誰もそのことを教えてくれなかったと思います。

誰かがもっと早く、考え方がいかに重要であり、人生を大きく左右するものだということを教えてくれていれば、また、先ほども説明したように、実はそれはとても単純なことなのだと分かっていれば、もっと素晴らしい人生が送れたのに、と思う人は多いと思います。

今述べてきたようなこと、つまり「良い心」「悪い心」とはどんなものかということは、元来、宗教や、道徳倫理などの教育が教えてきたものです。
ところが、近代に入ってから、日本では宗教にあまり重きを置かなくなり、戦後、教育でも宗教を離れてこそ真のインテリだと言われて育ってきました。

ただし、その宗教も、考え方が自分の人生を決めるというところまでは明確に教えてはいません。
おそらく教えられないのだろうと思います。
たとえば仏教の場合ですと、お釈迦様が「こういう生き方をしなければいけません。さもなくば地獄に堕ちますよ。ちゃんと守れば極楽にいけますよ。」と説かれていますが、宗教法人は宗教分離がされており経済活動ができず、お布施で成り立っていますから信者の末端の方は宗教では生計を立てられないため、多くの人は言っている事はあっているけれども、それだけではみんなが幸せになれるとは信じられないのです。

つまり、「なぜ考え方が大切なのか」ということについて現代の社会人に明確に説くことは難しいのだと思います。

しかし本来は、人生の方程式で示されるように、「考え方」が自分の人生を決める最も大切なものだということを、学校で教えられないのであれば会社で教えながら仕事を通じて実践してもらい実感してもらわなければならないと考えております。

つまり、1000年以上続いている各宗教にはそれぞれ素晴らしい考えがあります。
そこでまず、各宗教の基本的な考え方を学ぶことは素晴らしい人生を送るために必要なことだと認識します。
次に、現代の経済社会の中で実践することで自分の人生とリンクしていること、考え方がそのまま人生に現れること、人生は心に描いた通りになる、ということを実感してもらい、この人生の方程式も信じられるという人が出てくるのだろうと思います。

コメント

小泉社長

(2020/01/28 12:10)

第122回目《考え方こそが人生を決め、運命を変える》はいかがでしたでしょうか?

ある有名塾の木下先生から、興味深いお話を聞いたことがあります。

ボーダーラインの学校を受験した時に、あるクラスではほとんどの子が合格をし、あるクラスではほとんどの子が不合格になるという不思議な現象が起こっていた。
模試の試験結果は大差ないのに最後の試験の結果は全く違ってくるというわけです。

木下先生はどうしても気になって色々と調査したり分析したりしたそうです。
部活をやっていた方がいいのか、兄弟がいるほうがいいのか、親の方針や経済力はどうか等、とにかくいろいろと分析したそうです。

しばらくして、ボーダーライン上の子たちが落ちるクラスには、いじめがあったということ、逆に、ボーダーライン上の子供達が受かるクラスには、いじめがなくてみんなすごく仲がいいということが分かりました。
とても不思議なことなのですが、よく考えてみると本番の試験というのはものすごいプレッシャーがかかります。

プレッシャーで緊張してガタガタ震えながら試験を受けに行く、そんな最後の最後で試される試験においては、その人間の精神力本当の意味での自信や絶対にでるという気持ちが最後の最後に出るような気がします。

いじめのあるクラスには、いじめる子といじめられる子がいますが、いじめられる子はみんなから否定されて自分に自信を持ててない状態で受験に臨みます。
そんな子は模試では合格点を取っていても、もしかしたら本番で力が出し切れなくて自信がないから落ちてしまうという不安があるのかもしれない。

実はいじめる子だって自信がなく、本当に自信がある子は人をいじめたりしないんです。
自分に自信がないから人のことをいじめて自分より下げて、あいつより俺の方が上だと自分の地位を確認して存在価値を見出すというような仕組みがあるんじゃないかと思います。
そんな子は最後の最後で力が出ず、あと1点みたいなそんなところでみんな落ちてしまいます。

逆に、いじめがなくて仲が良いクラスは、単に仲がいいだけではありません。
たとえば試験の直前に塾にゲームを持ってきて遊んでいる子がいるとクラスメイトが「お前何やってるんだって、こんな大事な時にゲームなんかやってたらダメだろう。」とちゃんと注意して、「そうだよな。」と言ってみんなで勉強をするという組織にいる子達は、きっと自分の存在価値を分かっている。
本当の意味での自信があるような気がします。

この木下先生の話を聞いて、弊社でもよく似たようなことが起こっていると感じました。

新卒採用を高卒と大卒を1人ずつ採用していた頃です。
一方の子が社会の厳しさについていけず仕事が嫌になった時、弊社の愚痴を言いまくって辞めた子は大体もう1人の子も退職してしまいます。

これは、社会人として厳しい乗り越えなければならない壁が現れた時にみんなが乗り越えた壁なので、自分も必ず乗り越えることができると思ってその試練に取り組むのか、同期がもうすでに退職してしまって自分もこの壁を乗り越えることができないと一瞬でも思ってしまうのか、ちょっとした隙間にどう考えて行動するかによって大きな差ができてしまうのだろうと思います。

その他にもたくさん思い当たることはありますが、やはり考え方が一番重要なんだろうと思います。


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