第134回目

IBMの社長にヒントを得た小善と大善の意味

一番館の行動指針では一貫して、利他の心、優しい心、思いやりの心、純粋な心、美しい心を持ってくださいとお話をしています。

私が30歳の時、帯状疱疹(たいじょうほうしん)にかかり、1週間の入院していた時に出会ったある本が、その後の私の人生観をつくっていったこともあるせいか、事業に対するチャレンジ精神、勇気をもつことと同時に、優しい心を持つように、私はずっと心がけてきたわけです。

ところが、いざ従業員を雇い始めてみると、どうしても社員に小言を言わなければならないし、時には厳しく叱責(叱責)しなければならない時も出てきます。
場合によっては、「○○さんは辞めてくれ。」ということまで言わなければならない。
社員に対しても優しくしなければと思っていたのが、従業員を雇い始めた途端、たちまち矛盾に直面したのです。

それは、まさに私のエゴではないかと思えたほどでした。
つまり、自営業から経営者になった途端、自分の会社を潰さないために、今まで自分が抱いてきた人生観に反するむごいことを従業員に要求し始めた、いよいよ自分は悪の本性を現した、と思えたわけです。

このことで私は、非常に悩みました。
会社で顔を真っ赤にして部下を叱っている自分、その自分と、かねて心に思っていること、言っていることが矛盾している。
その矛盾に、私は長い間悩まされていました。

ある時、IBMの社是(しゃぜ)(今で言う理念)には、「社員を大事にする」という表現があることを知りました。
たしかに、アメリカの会社でありながら、IBMには日本と同じように長く勤める社員が多いと聞きます。
会社を変われば変わるほどビジネスマンとして(はく)がつくと言われるアメリカにあって、IBMの社員は総じて勤続年数が長いといいます。

IBMの社是の説明に、次のようなたとえ話が出てくるそうです。
ある北国の湖の(あぜ)に、心優しい老人が住んでいました。
湖には毎年、鳥の群れが飛んできて、冬を過ごします。
優しい老人はいつとはなしに、湖に集まる鳥たちに餌を与えるようになりました。
鳥は水辺に寄ってきては老人がくれる餌を喜んで食べていました。
来る年も来る年も老人は餌をやり続け、鳥もその老人からもらう餌を越冬(えっとう)(かて)とするようになりました。

ある年もまた、鳥の群れがその潮にやってきました。
いつものように餌をもらいに水辺に寄っていきますが、老人はいつまでたっても現れません。
毎日、水辺に寄っていっては待ち続けるのですが、やはり老人は現れません。
老人は、すでに亡くなっていたのです。

その年、大寒波が到来し、湖が凍結してしまいました。
老人が現れるのをひたすら待ち続け、自分達で餌をとることを忘れてしまった鳥たちは、やがてみな餓死してしまったのです。
そして、IBMではこのような社員の育て方はしません、と書かれているそうです。

本来、鳥は厳しい自然界の中で生きている動物ですから、湖面(こめん)が凍結しても自分で餌を探して生き延びていくものです。
そういう(たくま)しい鳥を育てるという意味で、「社員を大事にする」とIBMは言っているわけです。
「少しも大事にしていないではないか。」と一瞬思うかもしれませんが、「これが真の愛情なのだ!」と、私はその時気がつきました。

優しい心で社員に接しなければと思いながら、一方ではそれに矛盾するかのように、烈火のごとく部下を叱りつける自分。
なんと人間ができていないのだろうと悩むこともありましたけれども、ただただ社員の言いなりになって優しさをふりまくだけでは、いずれ会社を潰してしまう。
真面目に働いてくれる社員もいるのに、この会社を潰すような人がいれば、また、それを許してしまえば、大きな罪をなすことになる。

ただ、勇気がないばかりに、従業員の機嫌ばかりとって、会社全体を不幸にしてしまうということがあってはならない。
叱るべき時は、心に鬼にして叱ろう。
そう自分に言い聞かせて、それからは矛盾に悩まされることなく仕事にあたることができるようになりました。

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