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第190回目

発明・発見は観察力のたまもの

アモルファスシリコンドラムの開発を例にあげてみます。

京セラさんでは、アモルファスシリコンドラムという感光体を使ったページプリンタを製造しています。

「エコシス」という商品名のプリンタですが、その心臓部にはアモルファスシリコンで作った感光ドラムが使われています。
一般のページプリンタ、またはコピーマシンのほとんどには、有機材料で作られた有機感光体が使われています。

有機材料とは、柔らかいプラスチックのようなものですが、京セラさんは高硬度のアモルファスシリコンで作った感光体を使っています。

有機感光体を使った一般のプリンタの場合、1万枚から2万枚も印刷すればドラムが摩耗しますから、新しいものに交換しなければなりません。
一方、アモルファスシリコンドラムは、30万枚、50万枚という大量印刷をしても、ドラムが摩耗せず、プリンタの寿命が来るまでドラムを交換する必要がないのです。

稲盛氏は、使い捨て文明というものは環境に対して好ましくないと思い、このアモルファスシリコンドラムの量産を世界に先駆けて成功させ京セラさんのプリンタで使われています。

アモルファスシリコンドラムは、よく研磨したアルミニウムの筒の表面に、シリコンの薄膜(はくまく)成膜(せいまく)して作ります。

薄膜を成膜させるためには、シリコンと水素が結合した「シラン」という猛毒ガスを使います。
そのシランガスを容器に入れ、成膜させたい周辺に電極を置いてプラズマ放電を起こすと、放電のエネルギーでシランガスが水素とシリコンに分解されます。

発生した水素ガスは排出されますから、シリコンだけがドラムの表面にくっつくわけです。
ところが、放電というものは不安定で、一定した動きをとりません。

たとえば、空を見ていても、あっちに稲妻が走ったかと思えばこっちにも走るというふうに、どこで起こるかも分からなければ、稲妻の走り方も予測できない。
プラズマ放電も性質は似ていますから、放電の仕方によっては、ある部分にはシリコンの膜が余計にくっついたりします。

余計にくっつくといっても、1000分の1ミリというようなわずかな厚みの差が生じるだけなのですが、アルミニウムの筒の表面全体に均一にシリコンを成膜させなければプリンタの感光体としての役目を果たしませんので、この差は大きな問題となるのです。

学問として、「アモルファスシリコンのプラズマ放電による薄膜形成法」という理論はあるのですが、生産に関しては、量産技術が確立されていませんでした。

学術的には、実験をしてサンプルがひとつでもできあがったら、理論を成立させることができます。
ところがメーカーは、いつも同じものが量産できなければなりません。

京セラさんでかれこれ3年も実験を続けた頃です、ある時研究員が「できた!」と稲盛氏に報告に来ました。
飛んで行って見てみると、本当によくできています。

ところが、「もう1回作ってみろ。」と言うと、もう作れなかったわけです。

そして、何ヶ月もしてからまた、「できた!」と言う。
その時も、それを再現させることができなかったのです。

良品ができたとしても、同じものを再現できなければメーカーとしては意味がありません。

それができなかったものですから、稲盛氏は研究員に次のように言いました。
「いいのができた時と同じ条件で作ってみるのだ。たとえば、うまくできた日の朝、家を出る時のお前はどんな心境だったのだ。家で奥さんとケンカをして出てきたのなら、またケンカをして出てこい。その時とまったく同じ心理状態にするのだ。物理的な条件だけではなく、精神的な条件まで同じにしてみなければ、同じものはできないのかもしれない。」

当時、この研究は世界中で行われていましたが、結局京セラさんしか量産には成功しませんでした。

京セラさんでも、2回ほどいいものができたのですけれども、それを常に再現させることができない。
困り果てて、稲盛氏も研究をやめようかと思ったそうですが、実験は夜通し交替で続けられていました。

ある晩、ふと現場に行ってそっとのぞいてみると、「どんな現象が起こるかよく見ておけ。」とあれほど言っておいたのに、研究員がコックリ、コックリ居眠りしていたそうです。
呆れた稲盛氏は、後ろから「コラ!ダメじゃないか!」と、怒鳴ったそうです。

物事の発明・発見とは、鋭い観察のたまものなのです。
どんな些細な現象も見落とさない鋭い観察眼があって、初めてものの真理が発見できるわけです。

「製品の語りかける声に耳を傾ける」ということは、まさにこの観察こそが大切だと言っているのです。
鋭い観察がなければ、どうすればうまくいくのか分かるはずなどありません。

稲盛氏は、居眠りしていた研究員を新しい研究員に代えることにしました。
本当なら、すでに何年も研究していた研究員を外すことは、それまでの経験を生かすことができないわけですから、たいへんなロスなのです。

さらに稲盛氏は、研究する場所も変えました。
従来は鹿児島の工場にあった研究室で行っていたのですが、それを滋賀県の八日市工場の研究所に移したのです。

鹿児島からはリーダー1人を連れていき、あとの研究員は総入れ替えとなりました。
まさにもう少しというところまできての総入れ替えですから、無謀もいいところです。

それで失敗すれば、過去3年間の研究がすべて無駄になってしまう。

しかし稲盛氏は、鋭い観察眼を持った新しい研究員に代えて、失敗するか成功するか、勝負に出たのです。
結果、その勝負に見事に勝利し、今、京セラさんのエコシスプリンタが存在しているわけです。

それほど難しい製品ですから、今も世界中のどのメーカーも作ることができず、アモルファスシリコンドラムを京セラさんから買っているのです。

コメント

川邉さん

(2016/02/19 09:28)

稲盛氏のエピソードからは、成功への大変な情熱が感じられる。
これほどの熱意があってはじめて、知識や技術が本当の意味で「活き」、アモルファスシリコンドラムという世界に誇るべき一つの製品が生まれたのだと思うと鳥肌が立った。


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