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第101回目

適者生存が自然界の捷 / 闘争心を燃やす

仕事は真剣勝負の世界であり、その勝負には常に勝つという姿勢でのぞまなければなりません。
しかし、勝利を勝ち取ろうとすればするほど、さまざまなかたちの困難や圧力が襲いかかってきます。

このような時、私たちはえてして、(ひる)んでしまったり、当初抱いていた信念を曲げてしまうような妥協をしがちです。
こうした困難や圧力をはねのけていくエネルギーのもとは、その人のもつ不屈(ふくつ)の闘争心です。
格闘技にも似た闘争心があらゆる壁を突き崩し、勝利へと導くのです。

どんなにつらく苦しくても、「絶対に負けない、必ずやり遂げてみせる。」という激しい闘志を燃やさなければなりません。

闘争心といっても、「相手を打ち負かす闘争心」ではありません。
たとえば路傍(ろぼう)の草木を見ても、夏の暑い盛りなど、まるで競い合うようにして生きています。
陽の光を少しでもたくさん浴びようと精一杯葉を伸ばし、一生懸命炭酸同化作用を行い、養分を蓄え、来るべき過酷な冬を耐えて、再び春を待つのです。

雑草でさえも、すべてが一生懸命に「生きよう、生きよう。」と努めています。
そのような草は、隣に生えている草を打ち負かそうなどとは思っていません。
ただ、自分が陽を浴びようとして、精一杯葉を伸ばしているだけなのです。

周りの葉も同様に、必死で生きようとしています。
自然の世界では、そのようにしてみんな一生懸命に生きています。
そこでは、「もういい」と頑張ることを諦めたものは、滅んでいかざるを得ません。
自然界というのは、元々そのようにできているのです。

つまり、「適者生存」が自然界のルールなのです。
よく、「自然界は弱肉強食の世界」と言われます。
強い者が弱い者を食らって生き延びていく、激しい闘争の世界です。
しかし、実際は、一生懸命に努力をした者、誰にも負けないような努力をした者が世の中に適応して生き残り、努力しなかった者は絶えていく、この適者生存こそが自然界の掟なのです。

ですから、私達が持つべき闘争心とは、相手を倒すためのものではなくて、自分が精一杯に生きていくためのものでなければなりません。

コメント

小泉社長

(2015/08/31 21:41)

第101回目《適者生存が自然界の捷 / 闘争心を燃やす》はいかがでしたか?

「穴に落ちたカエル」という話をご紹介します。
カエルの集団が森を移動していた時に、2匹のカエルが誤って落とし穴に落ちてしまいました。

穴は深くて、どれだけ飛び上がっても外に出られません。
周りのカエル達はそれを見て、「残念だけど、もう穴から出ることは無理だな。」と穴の中のカエルに言いました。
「無理に飛び跳ねてしんどい目をするのだったら、静かにその時を待ったはうがいいよ。」とアドバイスをしたのです。

それを聞いて、1匹のカエルは「言われてみたらそうやな。もう無理だ。」と跳ぶ事をやめました。

しかし、もう1匹のカエルは、その忠告にもかかわらず跳び続けました。
あまりに激しいものですから、上のカエル達は「無理だ。やめろ!」と言いました。
それを聞いて、そのカエルはますますシャカリキになったのです。
そして、遂に穴から跳び出たのです。

なぜこのカエルは跳ぶのを止めなかったのでしょうか?
こういう問いがあります。
みなさんはどのように考えますか?

「跳んでいるうちに脚力がついて出られた」は半分正解です。
実は、「このカエルは耳が不自由だった」そうなのです。
だから、上で仲間が言っている事が何にも聞こえていないのです。

「何か上でやっているけれど、あれは早く跳び出ろと言っているに決まっている。」
彼はそう信じ切って跳び続けたのです。
そして、遂に穴から跳び出たという話です。

この話は私たちに1つの教訓を与えてくれます。
さらに、私たちはテレビや雑誌など色んなものに惑わされ、「だからうちもこうだ。」とか「仕事よりも遊びが重要だ。」と考えがちです。

しかし、時には耳の不自由なカエルではないけれど世間の声を聞かず、社会のため人のために良いと信じる道をひたすら努力し続けることが大切だと思うのです。


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