ベクトルを合わせる / ベクトルが合うまでとことん従業員と話し込む
人間にはさまざまな考え方があります。
もし社員1人1人がバラバラな考え方にしたがって行動しだしたらどうなるでしょうか?
それぞれのベクトル(人の力の方向)が揃わなければ力は分散してしまい、会社全体としてのカとはなりません。
このことは、野球やサッカーなどの団体競技を見ればよく分かります。
全員が勝利に向かって心を一つにしているチームと、各人が「個人タイトル」という目標にしか向いていないチームとでは、力の差は歴然としています。
全員の力が同じ方向に結集した時、何倍もの力となって驚くような成果を生み出します。
1+1が、5にも10にもなるのです。
これは第19回目の《全員参加で経営する》ということと全く同じです。
みんなが嫌々経営に参加するのでは困るわけで、ベクトル(カの方向)を合わせるという経営において一番大事な要素、つまりそれは「考え方」であり、会社としてはまず、社員全員の「考え方」を合わせるということ、また「進むべき方向」を合わせるということが大切です。
つまり、全員で経営に参加し、会社の進むべき方向、目標を全員が同じように認識していることが大事なわけです。
人間、顔色がみんな違うように、考え方もみんな違います。
そのように違った個性、考え方を持った人たちが集まって一つの会社を形づくり、経営していくわけですから、「一番館はこういう考え方で経営し、こういう方向を目指していきます。」ということを従業員さんに訴え、その方針に同調してもらうこと、それが私にとって一番難しいことでした。
私は機会がある度に、従業員さんに対して、「弊社(一番館)は、こういう方向に向かってこんなやり方をしようと考えています。だから、よく理解してください。」
「人間として、こういう考え方をすべきだと思う。」というようなことを語りかけました。
目をイキイキさせて、「そうだ。」とうなずいてくれる従業員さんがいるかと思えば、「何を言っているのだ。」という顔をする従業員さんもいました。
自分の意見、考えと食い違いすぎるものだから、私の話なんか聞きたくないわけです。
ところが、私の言っていることに共鳴してくれる人にとっては、ただ相槌を打つだけでなく、私の話は非常に心地よく聞こえて何時間でも聞けるわけです。
私の考えを分かってくれない人にどこまで分かってもらえるようにするか、そのことに私は多くの時間をとりました。
たとえば、そういうことのために1時間を割くとしたら、本当なら仕事をしてもらった方が得、というふうに考える経営者が多いのですが、私は1時間でも2時間でも、分かってくれない従業員が考えを変えるまで話を続けました。
極端な例になりますが、そこまで話しても分かってもらえない人には簡単な十字グラフを書いて、「頑張らない人→頑張る人」「考え方の悪い人→考え方の良い人」仕事を頑張らない人で、頑張って働くのは損をするというような悪い考え方を持っている人に対して、一向に考え方が変わらない人については学習障害の方が来てしまったと考えて、「もういい、辞めてください。」と言いました。
すると、言われた従業員はたいへんな剣幕で「なんで私が辞めなきゃならないのですか!」と食ってかかってきます。
そこで私は、「君も辛いだろう。しかし、話している私の方も辛いのだ。どっちも辛いのだから、君の考えに合う会社に行ったらどうだ。日本は民主主義の国で、職業を選ぶ自由もある。何も嫌な会社にいなくてもいいだろう。弊社しか会社がないという社会情勢なら仕方ないが、会社はたくさんある。」というようなことを言いました。
だから私は、社会に貢献のできない、ベクトルの合わない人には辞めてもらうことにしたのです。
つまり、少ない集団の中に、たとえ1人でもベクトルの合わない人がいると、他の人は「ああ、無理にベクトルを合わせなくてもいいのだな。それでも、会社にいられるのだ。」となってしまいますから、私は従業員さんのベクトルを合わせることに、非常に注意を払っています。
コメント
小泉社長
(2019/08/24 12:56)
第23回目《ベクトルを合わせる / ベクトルが合うまでとことん従業員と話し込む》はいかがでしたか?
たとえば、
1. 1人で家にいても寂しいので、弊社に仕事をしにきた。
2. ワールドカップを観に行くために、弊社に仕事をしにきた。
3. 借金を返済するために、弊社に仕事をしにきた。
4. 家計を助けるために、弊社に仕事をしにきた。
5. みんなが就職をするので、弊社に就職をした。
6. 社会の役に立つために、弊社に就職した。
さて、この6つの中で、目的の立て方として良くないものと良いものがあります。
1、2、3、5は、良い目的の立て方とは言えません。
残りの4と6は、良い目的の立て方と言えます。
別に借金の返済のためにと思うことがいけないということではなく、人生における目的の立て方としてはちょっと違うということなんです。
この違いを簡単に言うと、1、2、3、5は自分自身のためであり、終わりがあります。
5の就職をすることが目的だったとすると、会社に入ってしまったら目的は達成されて終わってしまいますから、次の目的は何にしよう?となってしまうんです。
4と6の目的には終わりがありません。
家計を助けるためにというのは、1ヶ月助けられたら終わりということではありません。
お子さんがいたらお子さんの学費、お子さんが育っていけば老後のための準備、老後の準備が終わればお孫さんのお世話と定年を迎える(働けなくなる)まで終わりがないんです。
もっといいのは、人の役に立つために就職をした人です。
退職した後だって人の役に立つことはできます。
目的はベクトルなんです。
ベクトルとは、矢印の事です。
目標はゴールです。
ゴールといっても、最終のゴールではありません。
中間のゴール、チェックポイントです。
そこで終わりではありません。
良い目的には終わりがないんです。
目的はベクトル、矢印ですから方向です。
方向に終わりはないんです。
人の役に立つという目的で考えれば、人の役に立つという方向に進む中でこういう勉強をしよう、こんな事業部を起こしてこんな仕事をしよう、というのは、全て目標であってその矢印(目的)の途中にあるチェックポイントでしかないんです。
だから、1つポイントをクリアしても次に自分が進む方向は明確なんです。
就職した後、自分はどんな仕事をして人の役に立つのかということを思い描いて仕事をしてほしいです。
お子様ができたら是非教えていただきたいことがあります。
「いい大学を入るために成績で一番をとる」のではなくて、「人の役に立つために成績で一番をとる」
「就職する為にたくさん資格を取る」のではなくて、「人の命を救うためにたくさん資格を取る」という良い目的の立て方を伝えてあげてほしいのです。
松浦さん
(2018/03/26 17:58)
ベクトルを合わせることはとても重要です。
しかし、自分の経験からしても自分とまったく同じようなベクトルを持てる人間はほとんどいません。
僕は音楽が好きだったのでバンドをやろうと何度も人を集めたことがありますが、その全てがうまくいきませんでした。
どのくらいのレベルを目指すのか、練習の頻度はどれくらいか、考え方を合わせるのはほとんど無理な話でした。
だから僕は、バンドはあきらめて自分ひとりですべてできるようにしました。
バンドという数人の中で考えを一致させることすら難しいのだから数十人、数百人となるとまず絶対に不可能だと思います。
学習障害ではなく、それが普通の人間なのだと僕は思います。
人の話を理解し、自分の頭で考えその通り行動できるのは、ごくわずかな人間だけです。