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第132回目

基準が善なることを人物評価の基準とした二宮尊徳

私は、尊徳の生き方を知り大変感銘を受けました。

尊徳は、特に高いレベルの学問を修めた人物ではありません。
貧しい農家に生まれ、子供の頃からたいへんな苦労を重ねた人で、後に鍬一丁鋤一丁(くわいっちょうすきいっちょう)で、朝は朝星(あさぼし)、夕方は夕星(ゆうぼし)をいただきながら田に出て働き、貧しい農村を豊かな村に変えていきました。

その実績をかわれて、為政者(いせいしゃ)(政権を担っている者)らに尊敬の念(想い・気持ち)をもって迎えられ、多くの村の改革を行った素晴しい人物と評されています。

尊徳は、農作業というものを1つの修行として捉え、自らの人生観を(つちか)っていきました。
彼は、人を評価するのにその人の動機が善であるかどうかを判断基準にしたと、「代表的日本人」には書いてあります。

尊徳は何の奇策(きさく)方便(ほうべん)も使わずに、ただ懸命に努力に努力を重ね、まじめに仕事に取り組みました。

彼は、「天は自ら(たす)くるものを(たす)く。」(人に頼らず自分自身で努力する者には、天が助け、幸福をもたらすということ)と常に心で唱え、一点の曇りもない心で一生懸命努力をする者には「天地もこれが為に力を貸す」と信じていたのです。

動機の善なること、心が純粋であるということはたいへん大事であると、(いにしえ)の人も言っています。

私はたくさんの成功者を見てきましたが、すべての成功している人が表現はいろいろですが基本的に仕事を修行の場と考えて前向きに取り組んでいる人が生涯を通じて成功しているように感じます。
動機が善であり、私心がなければ、たくさんの協力を得る事ができいつか必ず成功すると思います。

コメント

鈴木さん

(2019/08/23 13:27)

真面目に純粋に行動するのは本当に難しく、心が強くなければならないと思います。
自分の行動は意味のあるものだと強く信じる気持ちが大事だなと思いました。


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