第210回目

リーダー(責任者)について

人間社会にはいろいろな集団があり、小さいのはコミュニティー・学術団体・ボランティアグループのようなものから、大きいのは国家と呼ばれるような数億大規模のものまであります。

そこには、その集団を引っ張っていく中心的な人物、つまり、リーダーと呼ばれる人がいます。
歴史をひもといてみると、リーダーによってある集団は大きな発展を遂げ、ある集団は悲劇的な運命を辿るということが起こっています。

私達の運命というものは、その属している集団のリーダーによって左右されていると言っても過言ではないのです。

そのリーダーの資質について、中国の明代の著明な思想家である呂新吾(ろしんご)は、政治の在り方を説いた著書「呻吟語(しんぎんご)」の中で、「深沈厚重(しんちんこうじゅう)ナルハ是レ第一等ノ資質」と述べています。

つまり、リーダーとして一番重要な資質とは、常に深く物事を考える重厚(じゅうこう)な性格を持つ人格者であるべきだ、と言っているのです。

さらに呂新吾は、同じ「呻吟語」の中で、「聡明才弁(そうめいさいべん)ナルハ是レ第三等ノ資質」と述べています。
つまり、頭がよくて才能があり、弁舌(べんぜつ)が立つことは、第三番目の資質でしかない、と言っているのです。

ところが現在では、呂新吾が言う第三等の資質しか持っていない人、つまり、聡明才弁の人をリーダーに選ぶことが、世の東西を問わず、広く行われています。
たしかにこのような人材は、能吏(のうり)として役に立つことは間違いありません。

しかし、彼らが果たして立派なリーダーとしての人格を備えているかどうかは疑問だと思うのです。
利益関係が発生しないところではリーダーとして一番重要な資質、常に深く物事を考える重厚な性格を持つ人格者をリーダーに指名することがしばしばあります。

たとえば、高校野球のキャプテンはピッチャーで4番を打っている中心選手よりも、チームのことを一番に考える選手が監督からキャプテンを指名されて勤めていることが多くあります。
ところが、利益関係が発生する社会人の世界では、リーダーとして一番重要な資質である、常に深く物事を考える重厚な性格を持つ人格者よりも、頭がよくて才能があり、弁舌(べんぜつ)が立つ資質を持っている人がリーダーになってしまいます。

弊社でも、頭がよくて才能があり、弁舌が立つ資質を持っている人をリーダーに育てようとしましたがことごとく失敗しています。
一方、一般社員として育てた人材の方が会社のために働いてくれ、結果として給料を多く持って帰るようになり長く続いてくれることが多々発生しています。

現在、世界の多くの社会が荒廃(こうはい)している原因は、このように第三等の資質しか持っていない人材をリーダーとして登用しているからだと思うのです。
ですから、よりよい社会を築いていくためには、呂新吾が述べているように第一等の資質を持った人、つまり、立派な人格者をリーダーにしていかなければなりません。

ところが、その人格というものは先天的なものでも永遠不変なものでもありません。
人格とは、時と共に変化していくのです。

生来(せいらい)、立派な人格を持った人もいれば、そうではない人もいるかもしれません。
しかし、たとえ立派な人格を持って生まれてきた人でも、一生を通じてその優れた人格を持ち続ける例は希有(けう)なことです。

それは、人格というものはその人をとりまく環境により、時々刻々(じじこっこく)、よい方向にも悪い方向にも変化していくものだからです。

たとえば、努力家で謙虚であった人が、一度権力の座に()くと、人が変わったように傲慢になってしまい、晩節を汚すケースがよくあります。
一方、前半生に世を拗ねて渡り、反社会的な生き方をしてきた人が、あることをきっかけに心を入れ替え、苦労を重ね、辛酸(しんさん)をなめながら、晩年には素晴らしい人格者になった例もあります。

このように、人格が変化していくものであるならば、リーダーを選ぶ基準というものは、その時点での人格だけでは判断できないことになります。

そうであれば、私達はリーダーをどのようにして選んでいけばいいのでしょうか。
それにはまず、人格とはいかに形成されていくのか、そしてどのように向上させていくことができるのかを考えることが必要です。

私は、人格とは多くの知識を詰め込むことではなく、日々の労働を通じて向上させることができると考えています。
つまり、私達は一生懸命に働くことにより、生活の糧を得ることができるだけではなく、人格を高めることもできると考えているのです。

私は、晩節を汚す人が多すぎると感じています。
まだ正義感の溢れる若い時にこそ正しいことを貫いて行うべきなのであると思うのです。

若い時から苦労に苦労を重ね、真面目に一生懸命働くことによって作り上げた人格というものは、晩年になってもそう簡単に変わってしまうものではありません。
そのようなプロセスを経て作り上げた人格者そういう人をリーダーに選ぶべきなのだと思います。

真面目に一生懸命仕事に打ち込むこと、それは自分の人格、自分の人生を作り上げるためにもたいへん重要なことです。
そのために、私はいつも「真面目に一生懸命仕事に取り組んでください」とお話ししているのです。

コメント

高橋さん

(2016/07/25 10:00)
「人格は取り巻く環境により時々刻々と変化する」というのは、その通りだなと思います。
学生時代に、後輩の指導に苦悩し、直接指導をするという立場を離れてからはあまり周りや後輩のことに気をかけることを辞めてしまい、「他人を思いやる気持ち」のようなものが欠けていってしまったように思っていました。(自覚はしていました。)
今がきっと、改めて「真面目に一生懸命仕事に取り組む」ことで、人格を高める修行の機会なのだと思いました。

川邉さん

(2016/08/14 09:18)
すぐれた人格を形成するには、本人の意識や努力のほかに、周囲の支えが必要であると思う。
周囲の人が支援してくれることに感謝しながら、常に自戒、自省を忘れない人が立派な人格者となるのではないかと感じた。

小泉社長

(2019/07/15 23:54)
第210回目《リーダー(責任者)について》はいかがでしたでしょうか?

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありますが、本当に一流の人ってものすごく謙虚です。
あなたが責任者と言う立場に立った時、部下たちの話に謙虚に耳を傾けて聞くことができる上司になってください。
謙虚に人の話を聞くということは、とても重要です。


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