ダブルチェックの原則を貫く
人は誰しも、単純なミスを起こすことがあります。
また、してはならないと知りながらも、つい魔がさしたように不正を行ってしまうことがないともかぎりません。
こうしたミスや不正を防ぐためには、複数の部門や人が関わるダブルチェックのシステムが働くようにする必要があります。
物品の購入においても、経理および総務を担当する経理事務の者と検収を担当する営業のルート担当者という複数部門によるチェック、公印の捺印における捺印者と保管者という複数の人によるチェック、見積書や請求書などのあて先や内容とその数字のチェックなどは、その代表的なものです。
特に金銭関係や物品の管理においては、このダブルチェックを徹底し、ミスや不正を未然に防止する体制にしておかなければなりません。
2010年頃、長野県建設業厚生年金基金の事務長が年金基金の金を不正に流用し、24億円ものたいへんな額の使い込みが発覚したという事件が大きく取り上げられたことがありました。
これは何も当時だけの問題ではなく、現在でも頻繁に新聞紙面を賑わせているような事件です。
たとえば、会社が小さい時から何十年も、ずっと1人で経理をみてきた女性の経理担当者がいた。
その間一切不正がなかったので信用されていたのに、その女性に男ができて、男に貢ぐために何千万、何億円と使い込む。
もちろん、女の人だけではありません。
大の男が着服をしたなどの事件は毎年起こっています。
そして、必ずと言っていいくらい、社長などが「何十年もまじめに働いてくれ、信用していたのに、驚いた。」などとコメントしておられます。
いくらまじめな人であっても、金庫を預かり、お金を扱っていると、つい魔がさすということもあるかもしれません。
たとえば最初は、家の金が少し足りない、誰もチェックしないし、とりあえずちょっと借りておこう、来月給料が出たら返しておけばいい、そう思ってちょっと借りるつもりだったのが、なかなか返せないまま、また同じようなことが積み重なっていく。
そういう小さなものが積もりつもって、事件沙汰になっていくわけです。
そういえば昔、ある大手銀行の女性行員が使い込みをしたという事件がありました。
周囲にたいへんな迷惑をかけると同時に、その人も牢獄の人となってしまった。
その時も、「彼女を信用して任せていました」というようなコメントがありましたが、私は本当にそれでいいのかと首をかしげてしまいます。
人間、誰しも出来心ということがある。
そのような心の隙をついてしまったがために、その人に罪を犯させてしまったのなら、これはマネジメントにも責任があるのでないか。
不正をしようと思ってもできないシステムにしておけば、人を罪人に陥れることにはならなかったはずだ。
私はそのように考えるのです。
それは何も、人間は元々悪人なのだから、悪さをしないようにダブルチェックをしなければならない、という性悪説に基づいて言っているのではありません。
みんな善人なのですが、つい魔がさしてしまうことがある。
だからこそ、それをさせてはならない。
罪を作らせてはならないからこそ、ダブルチェックでミスや不正を未然に防止する体制を構築しなければならないのです。
コメント
川邉さん
(2016/02/26 15:26)
魔が差す以外にも、ヒューマンエラー(というかただのうっかりミス)をすることもあるので、見積書を作成するにしても、自分以外のベテランの先輩に一度チェックしてもらうと安心できる。
今日作成していたレーザープリンタの見積りも、先輩に確認してもらったところ、「これはいったいどこから出てきた数字なんだ?」と自分でも首をかしげるようなミスが出てきてしまっていたので(おそらく入力ミス)、まずは自分1人で作成する際の凡ミスをゼロにすることを目標にしたいと思う。
できるだけ早く、今よりも周囲の手を煩わせずに済むよう成長したい。
鈴木さん
(2019/09/24 12:49)
有意注意の賜物だと思います。
誰しもが有意注意で取り組む必要があって、チェックする人もされる人も意味あるダブルチェックを心掛けたいと思いました。
また、お金は人をダメにしてしまうのでお金に取り込まれないよう、強い人間になりたいと思う。