「六波羅蜜」と一番館の行動指針
この一番館の行動指針は、一種の「戒律」でもあります。
「人間として何が正しいのか、正しいことを正しいままに貫いていこう!」と、私はずっと言い続けていますが、それはお釈迦さまが説く戒律と同じようなものなのです。
お釈迦さまは、「六波羅蜜」という修行をせよと説いておられます。
この六波羅蜜で最初にくる修行とは、「布施」です。
お賽銭をあげることもそうですが、人を助ける行為は全てこの布施になります。
私は、事業経営とは一見相矛盾するような「利他の心」ということについて、よくお話ししています。
この「世のため人のために」という利他の心は、布施と同じことなのです。
中小企業の経営者は、従業員を守っていくために日夜頑張っています。
それも他の人のために尽くしていることになりますから、立派な布施であると私は思います。
2つ目は「持戒」といって、戒律を守るという意味です。
お釈迦さまは、「人間には6つの煩悩がある」とおっしゃっています。
煩悩とは、肉体を持っているがゆえに出てくるもので、この煩悩があるがゆえに人間がダメになっていくケースはたくさんあります。
お釈迦さまがおっしゃった六大煩悩をひとつひとつあげていきます。
まずは、「貧」と呼ばれるもので、分不相応な処遇や努力以上の成果を求めたりすることで、食欲・性欲・名誉欲といった、人間なら誰でも持っている欲望を指します。
これらは肉体を持っていればどうしても必要になるものですが、それが過大になってはいけません。
次は「瞋」です。
短気で、すぐにカッとなって怒り出したり、些細なことで怒り出したりすることです。
怒りにまかせて勝手な振る舞いをし、周囲の人に迷惑をかけてしまうような心です。
これでは本人も周りの人も不幸になってしまいます。
次は「癡」です。
一定の見識(知識と経験)を持っておらず、無知なあまりしょっちゅう不平不満を洩らし、愚かであるがゆえに、物事の正しい判断ができずに失敗をしてしまう。
さらにうまくいっている人をみると面白くないと妬む、そういう卑しい心のことです。
次は「慢」です。
謙虚さを忘れ、傲慢になっていく心のことです。
次は「疑」です。
読んで字のごとく、疑い深い心のことです。
疑う心がすぐに起こってしまい、信じる事を妨げてしまう傾向性を持ってしまうことです。
用心深いという言い方をすると良いことのように聞こえますが、排他性が強いと幸運の女神にも気づかずに排してしまうため、結果的に疑のスパイラルに陥ってしまうことがあります。
最後は「見」です。
間違ったものの見方や考え方を持つこと。
悪いほうに解釈をする心のことです。
この貧・瞋・癡・慢・疑・見を六大煩悩とし、それらを抑えなさいとお釈迦さまは説かれました。
つまり、これが持戒です。
ただ、「煩悩」は悪いことだとストイックに考えてしまうと、逆にそれ自体が苦しみになることがあるので注意しなければなりません。
たとえば、食欲を貪欲だとして絶食すれば死んでしまいます。
生命を維持するには食欲はある程度必要なものであります。
煩悩自体は善くも悪くもない。
煩悩をどう処理するかというところで善悪が発生するのだということを知っておかなければなりません。
3つ目は「精進」です。
これは一生懸命に働くということです。
私は皆さんに、「誰にも負けない努力をする」というお話をよくしています。
たとえ他人が寝ている間であっても働くというくらいの努力をする、それが精進なのです。
経営者や従業員さんは、毎日必死になって会社を運営しています。
つまり、経営者や従業員の行う努力は精進だと思います。
周りの人と同じように、長い休暇を取ってどこかに遊びに行きたいと思うけれども、会社を留守にすれば潰れはしないかと心配で心配で、結局朝早くから晩遅くまで一生懸命に頑張っている。
これも立派な精進といえるはずです。
4つ目は「忍辱」です。
これは「堪え忍ぶ」という意味です。
この不況を、皆さんは必死に歯を食いしばって堪え忍んでおられますが、お釈迦さまはそれも修行のひとつだと言っておられるわけです。
5つ目は「禅定」です。
坐禅を組むということですが、私なりにこれを解釈しますと、必ずしも「坐禅を組まなければならない」ということではなく、せめて1日に1回、心を鎮める時間を持ちなさいということだと思います。
仕事に打ち込んでいると、ついつい血が頭にのぼってしまい、冷静な判断ができなくなってしまうことがあります。
そうならないためにも、1日1回は心を鎮め、頭を冷やす。
禅定とは、そういう意味だと考えています。
寝る前にでもベッドで静かに目を閉じ、心を静かにするという程度でも構わないと思います。
また、2年目以降の方は、弊社の行動指針を通して本来あるべき姿を考えてもらっても構わないと思います。
いま言った5つのことを心がけていると、やがて6つめの「智慧」に至ります。
森羅万象あらゆるものの道理が見えてくると思います。
つまりお釈迦様からみると大変拙いのですが、悟りに至るわけです。
コメント
川邉さん
(2016/02/16 09:36)
行動指針のこのあたりにくると、一年くらい前に何人かで読み合わせをしていたことを思い出して少し懐かしい気持ちになる。
それはさておき、自分は六大煩悩に当てはまるところが多いのではと感じるので、少しずつ直していこうと思う。
考え方・感じ方を変えることは非常に難しいことではあるが不可能ではないので、一日一日反省を繰り返して積み重ねをしていくことが大事だと感じた。