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第229回目

「死ねぞっー!」と言った西郷南洲

弊社は、誰にも負けない努力と創意工夫でなんとかやってきました。

ところが、トップメーカーは金もあるし力もあるので、どんどん攻勢をかけてきます。
複数のお客様に同時に攻勢をかけられると、サポートしきれなくなります。

そこで、サポートしきれないお客様を営業担当に任せなければなりません。
しかし、「足で稼ぐんだ、小突かれても小突かれても頑張るのだ。」と言って聞かせても、「やっぱり駄目でした。」と言って帰ってくるわけです。

「なんで、○○さんは諦めて帰ってくるのですか?」と言って、「○○ができるまでは帰ってきたらダメじゃないですか!」と尻をひっぱたいても、なかなか闘争心を燃やしません。

そういう人たちが多いのです。
残念ながら、今の時代これが普通なのかもしれません。

私は昔、腹が立って「○○さんが向こうへ行って、同業者にやっつけられて、逃げてきてみい!今度こそは許さんぞ。だから向こうへ行かなきゃしようがないだろ!」と言いました。
つまり、そのくらいしてでも、闘争心を燃やさせるということがいるのです。

明治維新は、鳥羽・伏見の戦いで始まっています。
西郷南洲(なんしゅう)の率いる薩摩藩と長州藩の官軍は5000人、一方、徳川慶喜(よしのぶ)の率いる幕府軍はその何倍もの数の兵士がいました。

当時、大阪にいた徳川慶喜は、その幕府軍を引き連れて(みやこ)へ上ります。
戦ってみると、官軍は劣勢になります。

その時、後方の京都の御所にいた西郷南洲のところに、傷だらけになった侍が戦いの最前線から帰ってきて、「援軍を頼む。このままでは官軍は全滅する。」と訴えます。
しかし、御所にはもう10数名の手勢しか残っていなかったので、援軍は送れません。

西郷は「援軍は1人もおらん。死ねぞっ!」と言うのです。
つまり、私が言った「逃げてきてみい!」と同じ意味です。

西郷に「死ねぞっ!」と言われて、官軍の連中は逃げ道がありませんから、死に物狂いで戦います。
官軍が戦いに勝てたのは、天皇の(にしき)御旗(みはた)を持ち出して旗竿(はたざお)の上に掲げ、それを先頭に立て必死に戦ったからです。

それを見た徳川慶喜は、天皇に刃向かったのでは国賊(こくぞく)になってしまう、歴史に汚名を残すというので、サッサと大阪へ逃げ帰ります。
そして、何万という幕府軍は総崩れしていきました。

西郷南洲はこの戦いの時、「それは大変だ。」とは言わなかった。
「死ねぞっ!」と言った。

援軍は送れない。
その場でお前は死ねということです。
そうして、追い込まれた連中が必死になって戦っていったという歴史的な事実があります。

やはり、どういう仕事であれ、責任者になられる方にはそういう闘争心がいると思います。
ぜひ、頑張ってください。

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