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第219回目

まずは従業員さんのために尽くすことで、従業員さんも会社のために働いてくれる / ただ自己犠牲を求めるのは間違い

弊社の理念には「全従業員の物心両面の幸福を追求する」とあります。
逆に言うと、「社長をやっている小泉貴裕の財産・給料を増やすためにつくった会社ではありません」ということになります。

つまり、「私を含めた全従業員が幸せになるために、一番館があるわけです。全従業員の幸福の源泉は、一番館という会社が健全に経営され、利益を出して、将来にわたって発展していくということにあります。その会社を守るために頑張ってください。」
そう言い続けてきた結果、従業員さんも自分たちの幸せを守ってくれるこの企業を守ろうとして、時には残業や休日出勤をし、頑張る人が出てきたのです。

ですから、入社して間もない従業員さんに、「自分の会社を守るために、家庭を犠牲にしてまで働け。」と言っても、働くわけがありません。
言うのもはばかられるわけです。

ですから、まず会社の目的は何かということをはっきりしてから、「頑張ってくれ!」と言わなければならないのです。

たとえば、アメリカという国はもともと国家があったのではなくて、ご承知のようにメイフラワー号で、ヨーロッパからアングロサクソンの人たちがアメリカへ渡ってできた国です。
あそこには、もともとインディアンしか住んでいませんでした。

そこにヨーロッパの人たちが大勢流れ着いて、インディアンを襲撃したり、次から次へと土地を略奪(りゃくだつ)したりして、国をつくっていったのです。

つまり、最初に人民ありきなわけです。
人民がどんどん増えていくに従って、社会が形成されました。
社会が形成されますと、秩序(ちつじょ)がいります。

秩序がいりますので、最初に彼らがつくったのは、警察官制度です。
悪者にも勇気を持って立ち向かってくれる強い拳銃使いを自分たちでお金を出し合って雇い、「あなたを保安官に任命します」というのでできた制度です。

そのうち、今度は裁判官の制度などもつくっていったのです。

つまり、まず人民がいて、その上で政府をつくっていったわけです。
ですから、アメリカは建国以来、「人民の人民による人民のための政府」なのです。

星条旗(せいじょうき)の下で国家に対する忠誠心を誓わせる場合も、「アメリカ合衆国は我々人民の国なんだ。我々が国家を守ってあげなければ守る人がいない。だから犠牲を払ってでも守る。」と考えます。
つまり、我々がつくった国家が我々を守ってくれるから、命を賭けても国家を守ろうとするわけです。

ところが、日本の場合はもともと政府があった。
つまり、為政者(いせいしゃ)、統治者がいたわけです。

我々はその下で統治されてきました。
統治する者が重税を課して、我々は収奪(しゅうだつ)されていたわけです。

つまり、この国に住まわせてもらっていたのです。

もし為政者、治める人間が、「こいつはけしからん」と言えば、打ち首獄門(ごくもん)になってもしょうがないという部分があった。
そういう部分で、アメリカとは国の成り立ちが違うわけです。

治める人間がいて、その人が全部を支配していた。
そういうひと握りの支配者のために犠牲を払う。

実際に戦時中は、「天皇陛下のために」と言って死んでいった人々がいたわけです。
ところがアメリカの人たちは、「自分たちがつくった国家、私の家を守るために。」と考えますので、発想がまったく違うわけです。

新入社員さんが入社して会社を日本の統治国家のように考えるのではなく、アメリカの人民の人民による人民のための会社という発想をまず持ってもらう必要があります。
次に、「この会社を立派にするために頑張ってください。頑張ってもらった分については、パートの方を含めて、皆さんによくします!」と言って評価制度はパートさんから正社員まで同じ基準で行ってきました。

しかし、会社が大きくなってくると、会社を支えてくれる各責任者や幹部、店長くらいまでしか直接話ができなくなってくると思います。
そうなってくると、私は各責任者や幹部、店長がその人たちを大事にし、待遇もよくし、その人たちが、「会社のために、もっともっと協力してあげよう。」というようになると、部下を大事にするようになると思います。

つまり、向こうに犠牲を求めるのではなく、私が各責任者や幹部、店長くらいまでの人たちを大切にすることによって責任者や幹部、店長以下の末端まで同じように大事にする。
そうして末端から返してくれるという方法しかないように思います。

私は各店舗の店長さん、または責任者の人たちだけには、会社幹部として誇りが持てるように礼儀を尽くします。
一介の使用人ではなく、幹部として誇りが持てるように私が義を尽くして、それなりの待遇をしてあげることで、期待に応えてくれると考えております。

最後に、「皆さんがうちの会社で生活をするなら、会社がうまくいかなければなりません。だから、プロとしての意識を持ち、会社を守ってください。」と言わなければならないのだろうと思います。

「お客様がうちの会社を愛してくれなければ、うちの会社は決してうまくいかない。ですから、お客様のためにも、ある時には休日出勤してでもお客様のシステムを構築してください。せっかくお客さまからシステム構築の依頼をいただいているのに、日曜日だから、時間がきたから対応できないというのでは、月曜日の業務に間に合わなくなる。そうなればお客様から見放されてしまう。だから、そのままにしておくのではなしに、休みの日であってでも出勤してほしいのです。それはプロフェッショナルとして、いや、お客様に対する責任感としてやってください。うちの会社の利益を増やすためにやってくれとは言いません。プロとして、またはお客様にサービスをするという一点で、やっていただきたいのです。」

そういう教育をすることによって、責任感のある行動を幹部から末端の人たちがしてくれるようにしなければならないのです。

家庭を少し犠牲にしてでも働いてくれる、忠誠心のある、愛社精神のある部下をほしいと思われるのは無理もないことかもしれませんが、そういう人材はなかなかいるものではありません。
こちらがまず部下によくしてあげて、はじめて返ってくるものなのだと思います。

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