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第073回目

創造的な仕事を通じて中小企業が大企業へと発展していく

なぜ私がこれほど一生懸命に皆さんにこのような話をしているのかといいますと、経営者と従業員の工夫次第で会社はいくらでも変わっていくのだということを理解していただきたいからなのです。

京セラさんの場合、創業当時、ブラウン管の絶縁材料である「U字ケルシマ」を作って、松下電子工業さんに納めていました。
当時、松下さんはオランダのフィリップス社から技術導入をしてブラウン管の製造を始めており、それに京セラ名誉会長の稲盛氏が開発したU字ケルシマが使用されたのです。

続いて、「カソードチューブ」と呼ばれる部品も開発されました。
テレビの仕組みは、電子銃から電子が飛び出して、それがブラウン管に塗られた蛍光体に当たって発光し、映像を描くわけです。
その電子を出すためには、カソード(陰極)を加熱する必要があります。

最近のテレビは待機モードで常に予熱をしていますから、スイッチを入れるとすぐに映像が出てきますが、昔はスイッチを入れてもしばらくは映りませんでした。
これは、カソードが加熱されて電子が飛び出すまでに時間がかかるからなのです。

カソードを加熱させるためには高圧電流を流しますから、絶縁しなければ大変危険です。
そこで、非常に薄くて、高い絶縁性を持つカソードチューブという製品を作られ、これも松下電子工業さんに納められていました。

U字ケルシマとカソードチューブ、これらはブラウン管を作るキーパーツであり、この両製品が京セラ発展の(いしずえ)を築いたのです。

特定の会社に納めていた単一製品が大量に売れて利益が出るようになると、当然、客先の開拓やその技術の応用を考え始めるものです。
稲盛氏は、「ブラウン管は今後とも伸びていくだろうから、今作っている絶縁部品を、東芝さんや日立さんにも売っていきたい。そうすれば会社はもっと大きくなる。」と考えられました。

また、ブラウン管は真空管の一種ですから、真空管に使う特殊絶縁材料として「ラジオなどの真空管にも使えるはずだ」と稲盛氏が考えたのも、当然の成り行きです。

もし、京セラさんが「単品生産でも利益が出ているから」と言って、そのまま松下さん向けのブラウン管用部品の生産に安住していたら、今頃はどうなっていたでしょうか?
その後しばらくして、真空管はすべてトランジスタにかわり、市場から姿を消していきました。
ブラウン管の方は残りましたが、技術革新により、絶縁用部品を使うかわりに、直接絶縁材料をコーティングすることによって絶縁するという、簡単でコストも安くすむ方法が開発されたために、最初の製品のU字ケルシマも、苦心惨憺(くしんさんたん)して作られましたがカソードチューブも必要なくなってしまいました。

一つ間違えれば今頃は、「あの時はよかったな」と当時を振り返りながら、何か他の業種に転換をしなければならない事態に追い込まれていたかもしれません。
ところが稲盛氏は、さらに注文を増やそうと、あらゆる可能性を追求していきました。

真空管の次は、「セラミックスの応用が可能なのは、何もエレクトロニクスの分野だけとは限らない」と、他の分野への展開を考えたのです。
セラミックスは、高温に強く、ダイヤモンドに次ぐ硬度をもち、また摩耗しにくいという特性があります。
それならば、摩耗の激しいところにセラミックスを使えばいいのではないかと思いつき、どこかに摩耗しない部品を探している会社はないかとかけずりまわられました。

当時、繊維業界では、ナイロンのような化繊(かせん)が登場した頃です。
ナイロンは非常に強く、その工程ではものすごいスピードで糸が走っていきますから、糸が走る部分に使われている金属がたちまち摩耗してしまって、使いものにならなくなるという問題がありました。

そこで稲盛氏は、金属の代わりにセラミックスの部品を使うとこの問題は解決できるだろうと考え、開発に着手しました。
こうして、繊維機械にもセラミック部品が多数使われるようになったのです。

その勢いで、「他にもセラミックスを応用できるところはないか?」と、稲盛氏はなおも探しまわられました。
やがて、アメリカの市場を開拓しているうちにトランジスタに出会い、トランジスタのヘッダーをセラミックスで作るようになります。
非常に高度な技術を要求されましたが、何とかして京セラさんはそれを成功させました。
そして真空管がなくなる頃には、全世界のトランジスタのヘッダーを京セラさんが生産するまでになっていたのです。

また、間もなくそのトランジスタもICへおきかわっていきますが、その時には、京セラさんはセラミックICパッケージを開発しています。
もともと専門の知識があったわけではありません。
また、トランジスタの時代が来て、真空管が姿を消すなど、そのような技術変遷を予見していたわけでも何でもないのです。

ただ現状に満足することなく、あらゆることに工夫を重ね、新しい分野へ果敢に挑戦していったという姿勢が、今日の京セラさんをつくってきたのです。
つまり、「常に創造的な仕事をする」ことが、中小企業から中堅企業へ、また、中堅企業から大企業へと脱皮していくにあたり、最も基本的な手段となるのです。

コメント

川邉さん

(2015/08/01 09:48)

たとえ「今、この瞬間」成功している事業があるからといって、それが未来永劫続くはずはない。
だからこそ常に新しい分野への挑戦、今ある技術をさらに昇華させる努力が必要なのだと思う。

小泉社長

(2015/08/02 20:05)

第73回目《創造的な仕事を通じて中小企業が大企業へと発展していく》はいかがでしたか?

同じ機能をする部品でも改善改良が行われて部品の性質が変わっていき、さらにその部品を作っている技術を利用して新商品を展開していくことで中小企業が大企業に変わっていった京セラさんを例に学びました。
弊社は毎年年末年始ににマスタープランの発表を行います。
マスタープランはとてもハードルが高いように思えても、「創造的な仕事を通じて中小企業が大企業へと発展していく」を思い出し、積極的にマスタープランに取り組んでいただければこの項目の勉強は成功したということになります。

油谷さん

(2016/05/10 14:57)

あえて茨の道を進む人間は存在しないと考えますが、様々なスタイルの中で必ず避けれない大きな壁に遭遇する。
運命のままに生きるも良し、あえて戦うのもまた人生、そしてその壁を超越した時こそ一辺の光明を見い出し新たなステージを迎えることが現実となるであろう。
進んでで広く公益を広める事により未来をバトンに託そうではないか。

小泉社長

(2016/12/17 11:46)

コメントありがとうございます。

「現在は過去の努力の結果、将来は今後の努力で決まる」ということを肝に銘じて、全員で仕事にあたってください。

宇都さん

(2020/02/06 13:22)

スタッフ全員が現状に甘んじず創意工夫をしていく事で会社が発展していくんだなと、改めて自分もその一員である自覚を忘れず、日々の業務に真面目に向上心を持って取り組みたいと思いました。

鈴木さん

(2020/02/06 13:22)

発想の転換や力・周りを見て変化に気づく力・同意してくれる仲間が発展の肝だと思いました。
現在に満足する事なく努力を惜しまない姿勢で居たいと思いました。


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