製造業こそ高収益を
右から左へ仕入れて売るという流通業でも、30%の粗利がなければ採算が合いません。
それなのに、第139回目でお話をしましたうどん屋もそうですが、製造部門がわずか5%の利益しか出せない、というのでは困るわけです。
私はよく製造の人に、「右から左へ仕入れて売る、それだけでも30%のマージンが必要です。我々は技術屋を何人も育てて、頭を使い、機械設備を導入し、製品を作り上げているというのに、それで利益が5%とは実に情けない。我々はそんなに価値のない仕事をしているのか。製造業なら、粗利が50%で利益が10%くらいあってもおかしくないではないか。」
ところが、製造業で粗利が5割もある会社なんてまずありません。
歴史を振り返ってみますと、産業の発達は最初は商業資本の勃興から始まっています。
人類はかつて、野山を駆けめぐって粟やドングリなどの木の実を採ったり、獲物を弓矢で射るといった、狩猟採集生活を営んでいました。
それがだんだん定住するようになって、畑を耕し、収穫した食料で家族を養っていくという農耕生活に変わっていくわけです。
一生懸命農業に精を出せば、たくさんの収穫が得られます。
そのうちに、芋でも、ヒエでも、アワでも、余った食料を採れなくなった時に備えて自分の家で蓄えるようになっていきます。
この「貯蓄」が始まると、人間の欲望は増大します。
狩猟採集の時代はあまり採りすぎると次に採れなくなってしまうので、乱獲を戒めていましたが、農耕が始まり、蓄えが増えるに従い、欲が肥大化していくわけです。
そうすると、「隣の村にはアワが相当余っているらしい。」と聞けば、それを奪おうとする泥棒や強盗も出てくる。
戦闘や殺戮が始まったのは、そういう欲望からなのです。
そうするうちに、やがて余っている穀物を安く仕入れて、それを足りないところに高く売りつけようと考える、知恵のある人間が出て来ます。
つまり、豊富にあるところから足りなくて困っているところに持っていけば、商品に価値が生まれる、と気づいたわけです。
そのようにして誕生した商業資本家は、なるべく安く仕入れてなるべく高く売ろうとしますから、農業をやっている労働者は買い叩かれる。
そのために、今日でも商業資本が強く、産業資本は弱いのです。
本来は生産者側の方が技術をはじめ、様々な資本を投下するわけですから、ずっと利益率が高くていいものを実際には流通側の方が利益率が高い。
私は、常日頃から「税引き前利益で10%くらい出るまでは創意工夫と誰にも負けない努力をしなければならない。」と言って、皆さんにご協力を求めているわけです。
それは、皆さんに数%の利益では会社は安定しないという情報共有と危機感を持ってもらうために、憎まれても言い続けているわけです。
「銀行の金利は、通常なら0.1%から1%つく。人に貸したら、後は何もしなくても2%~5%もの金利を稼げるわけです。汗を流して働いている我々が少し間違えば大損をするかもしれないリスクを背負っていながら、5%程度しか利益を出せないようでは、割が合わない。」
「鵜飼いの鵜匠みたいに、お金を動かすだけで自分たちは何の苦労もせず、高いびきをかいて寝ている、それでもお金がお金をくわえて帰ってくる。それに比べて、我々はこれだけの苦労をしているのだ。もっと利益率が高くてもいいはずではないか。」
私はそう感じています。