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第234回目

東芝ケミカル

M&Aで買収された東芝ケミカルへ乗り込んでいった京セラの営業出身で、川崎にある工場にひとりだけ部長として赴任した男性の手記を紹介します。
長くなりますので、要点だけを紹介します。

私は京セラにいた時から、出社は午前7時30分と決めていました。
ケミカルでも7時15分から30分には出社をしました。

女性アシスタントのTさんか私が、いつも一番早く出社していました。
技術・品証・営業を含めた広い部屋で、二人きりの時間が続きます。

8時を過ぎると三々(さんさん)五々(ごご)、出社が始まります。
全員が揃うのは、午前10時をまわった頃でしょうか。
フレックスタイムが導入されており、朝礼もありません。
大半の人が、出社をしても挨拶さえしません。

午後になれば、3時頃から帰宅が始まります。
帰りの挨拶も聞こえてはきません。
私の最初の仕事は、みんなに挨拶をしようと呼びかけることでした。

不思議に思ったのは、営業マンがほとんど外出をしないことでした。
まわりの人に聞いてみると、「当社では販売をディーラーに任せています。そのディーラーにマージンをあげて、いかに当社の製品を売ってもらうようにするのかが営業の仕事になるのです。」という答えが返ってきました。

京セラで長年、半導体や電子部品の営業に携わってきた私には、奇妙に感じられました。
そんなことをしていたのでは、客先の声を社内に直接伝えることができるはずがありません。

客先の声が伝わらないために、他社に勝てる製品をつくることができない。
そのために販売ディーラーもわが社の製品を売らなくなり、結果として製品が売れない。
ケミカルでは、このマイナスの相乗効果が見事に出ていたのです。

営業の人たちに集まってもらい、「この製品の戦略は?」「この製品の強みは?」と聞いても返事が返ってきません。
「シェアはいくらですか?」と聞いても「分からない。」という答えが返ってきます。

営業の大半は技術者出身で、営業としての教育・訓練をまったく受けていない人たちだったといっても過言ではない状況でした。
執着心がない営業部隊とはこんなものか。
生まれて初めての経験でした。
戦国時代の武士が平安時代にタイムスリップしたような思いがしました。

傾いた会社とは思えないくらい、緊張感のない職場。
いや、緊張感がなかったから傾いたのでしょう。
錆びた歯車を動かすには、並大抵のカではできません。

しかし、同じ京セラから来た中村副社長からは、「機能材料の営業を立て直し、営業主導の会社をつくるのだ。頼むぞ。」と言われています。

私がケミカルに行くことになった時、忠告をしてくれた友人の言葉が頭をよぎりました。
「行くな。メチャクチャ苦労するぞ。」
私ひとりにどうせよというのか。
覚悟はしていましたが、あまりの内容に目の前が真っ暗になりました。

私は26年前、京セラに入社しました。
その後、半導体部品の営業を20年、ファインセラミックスの営業を5年、ケミカルに来て1年4ヶ月の営業を経験してきました。
ケミカルでの1年4カ月は、半導体の20年、ファインセラミックスの5年に匹敵するくらいの激動続きでした。

そしてこの間、ケミカルは様変わりしました。
最近京セラから来たUさんが、「ここは京セラよりも京セラらしい。」と感動したくらいに、ケミカルは変わりました。

フレックスタイムはなくなっています。
朝8時には、京セラの社歌が社内に流れます。

それを合図に全員で掃除を開始し、終わればラジオ体操です。
8時半には全体放送の朝礼が始まり、その中で経営理念・活動理念・業務目的・信条を唱和します。

その後の各部署の朝礼では、フィロソフィ手帳を輪読し、感想を述べます。
営業方針も唱和します。
月に1度の全体朝礼は、敬礼の点呼で始まります。

また、月に2度は社長・副社長主催の親睦会を開きます。
わざわざそのために畳の部屋もつくりました。
営業を担当する私は、月に2回の親睦会になりますが、他部門とも親睦会をする社長・副社長は、月4~5回の親睦会に出席されていると聞いています。

この親睦会以外にも、多数の親睦会があります。
親睦会が終わったのち、夜中まで仕事をして、寮に泊まり込むことも度々ありました。
運動会・全社スポーツ大会・講演会等々、いろいろな行事も開いています。

また、営業1泊旅行なども勉強を兼ねて行ってきました。
全社の会議も毎月2日間、(もよお)されます。
そこでは社長・副社長にビシビシ指導されます。

これらを通して、みんなの考え方が変わってきました。
積極的になり、明るくなってきました。
いつも川崎工場にいた営業マンたちも、今では机の前にいません。

ケミカルが生まれ変わっていく様子を肌で感じます。
営業が会社を引っ張り、5年後、途方もないほどの立派な会社にしたいと思っています。
全社員とその家族の幸せのために、そしてケミカルを、自分の子供にも勤めさせてやりたいと思えるような素晴らしい会社にしていくことが、現在の私の夢です。

たったひとりの男がフィロソフィ(行動指針)を引っ提げて、川崎の工場に赴任した。
最初は話をしても小馬鹿にされ、誰も相手をしなかった。
それでも話し続けて、みんなが心にそれを信じ込んだ時に、会社が一転して素晴らしいものに変わっていった。

そういう体験記を紹介したかったのです。
「こういう考え方で経営をしていきます。」とただ話して、それを従業員さんたちが知識として持っている程度では意味がないのです。
それでは、その人の人生も、会社の業績も変わりません。

「みんながそれを信じ込み、信念にまで高まった時に、初めて会社は変わっていくのだ。」ということを、彼の話は我々に教えてくれています。

東芝ケミカルは、買収される1年ほど前は、年間売上が約300億円、年間70億円ほどの赤字を出している会社でした。
買収された年には、売上が280億円くらいに落ち、240億円はどの赤字を出していました。

その東芝ケミカルも、買収されてから1年半後の前期実績は、売上約260億円とさらに落ちましたが、税引前利益は約8億円の黒字に転換し、さらにM&A2期目には売上約300億円、税引前利益約30億円を目指す会社になりました。

行動指針を理解し、行動指針を全員に伝えることで、会社を変えることができる。
東芝ケミカルの業績の急回復が、それを証明しているのです。

現在、東芝ケミカルは京セラケミカルと社名を変えていますが、社長は東芝からこられた人がそのまま残っています。
京セラからは副社長を含め、幹部社員を数名ほどしかいません。

東芝ケミカルが京セラの完全な子会社になると決まった時、東芝ケミカルの多くの幹部社員が辞めていきました。
もともと東芝の子会社だけあり、50歳代の人たちはみんな一流大学を出ています。

一流大学を出て東芝に入り、そこから東芝ケミカルに出向してきていた人たちですから、今さら京セラに入り、こき使われたのではたまらないという気持ちもあったのだと思います。
買収を担当した京セラの人たちは、東芝ケミカルの優秀な幹部社員が辞めていき、もぬけの殻になったような会社を買うことになるのではないかとたいへん心配したそうです。

稲盛氏は、「辞めていく人のことはしょうがない、残った人でやっていくしかない。」と覚悟を決めていました。
ところが、その会社に残った人たちだけで、たった1年半で赤字から黒字に転換をした。

まるで手品のような奇跡的なV字回復を、京セラケミカルは成し遂げたわけです。

コメント

小泉社長

(2024/09/28 13:03)

(京セラさんの行動指針を更に進化させた)京セラフィロソフィーを導入したら会社が変わった例があります。

1つは京セラさんが東芝ケミカルさんを購入されて、京セラフィロソフィーをそのまま持って行ったパターンです。
東芝ケミカルさんの場合、まず赤字事業を売っていかれました。
京セラさんなど様々な会社が購入されたことから、いかに東芝さんが素晴らしい事業を展開していたのかが分かります。
京セラさんが東芝ケミカルさんを購入し、京セラフィロソフィーが導入されたことで、V字回復していったのです。

しかし、東芝さんは社員教育が緩く、社員さんにとっては良い環境でしたが競争社会では徐々に勝てなくなりました。
そんな中、東日本大震災で東芝さんが作った原子力発電所が爆発し、ついに経営体制が崩れ始めます。
株主総会にて、コアな半導体部門などを売却することが決まり、その利益を株主に還元していきましたが長くは続かず、今年上場廃止されました。

もう1つは、JALを復活させた時です。
この時、あくまでも国からの要請でJALをV字回復させるという目的だったので、京セラフィロソフィーを持ち込まず、JALの幹部社員たちでJALフィロソフィーを作りました。
特に、一人一人がJALという項目が特徴的で、航空会社ならではのクオリティや立ち振る舞いは、一番館や京セラさんといった中小企業やメーカーさんでは分かりかねるので、このようなオリジナルのフィロソフィーを作って再出発されました。
これが功を奏し、ほとんどの人がJALの復活は無理だと言う中、5年計画を打ち立て、2年半程でV字回復、3年目には再上場という驚異のスピードで復活しました。

僕は社員教育をどのスタンスで取るかによって、10年後20年後の会社の状態が変わるのだと思います。
また、パナソニック創業者の松下幸之助三もこのような言葉を残しています。

三流の経営者は財産を残し
二流の経営者は事業を残し
一流の経営者は人材を残す

この言葉を噛み締めて、社員教育を徹底し次の世代にバトンパスした会社もありますが、東芝さんや今の三菱さんは緩い社員教育をされているのでボロボロになってきています。
このことから、松下幸之助さんや稲盛和夫さんの考え方が正解だった事が分かります。

弊社ではフォトスポットの売上低下を危惧し、閑散期に営業するという体制を構築するべく、採用基準を引き上げ閑散期に営業や開発に取り組める方を採用していきたいと考えています。
また、特に午前中に出勤されている方ですが、お仕事を頑張ってくださっているものの、京セラケミカルさんとは異なり緩い雰囲気だと感じています。
市場が厳しくなっている中、真剣に取り組まないと倒産していく会社がかなり出てきそうなので、踏ん張り時だと思います。

昼以降の塩崎さんのいる時間帯が一番締まっていると思うので、この雰囲気を午前と午後で継続したいですね。
そのために、午前中に2人ほど締まっていける子が欲しいです。
頑張っていきたいので、よろしくお願いします。


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