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第076回目

大善の功徳と小善の功徳

ここで大切なことは、相手にとって何が本当にいいことなのかということを考える必要がある、ということです。

たとえば、潰れかかっている会社から「実は今お金がない。掛け売りをしてもらえないか?」と言われたり、「手形で売ってくれ。」と頼まれたとします。
調べてみると、その会社は来月くらいには倒産するだろうと噂されていて、手形は落ちそうにない。
それでも相手は「何とか売ってくれ。」と頼んでくる。
その場合、売るべきなのか、それとも断るべきなのか。

「利他の心で判断するならば、この場合、当然売ってあげるべきなのだろう。しかし、そうすると売掛金がコゲ付いて、ウチの会社が困ることになる。一体どうすればいいのか。利他の心と事業経営は、矛盾するのではないだろうか?」このように迷ってしまう人も多いと思います。

私はこれまで皆さんに「大善と小善」という話をしてきました。
たとえば、自分の子供を可愛がるあまり、甘やかし放題に育てる。
その一瞬一瞬は子供も喜んでくれるのですが、結果として、わがまま勝手に育ち、とんでもない人間になってしまい、不幸な運命をたどる。

このように、目先のことしか考えずに相手に(ほどこ)そうとする善行を「小善」と言います。
その時はいいように見えても、後々悪い結果を招くことになる。

「小善は大悪に似たり」と言いますが、つまらない善をなすことは、かえって悪をなすことになるのです。

1998年、「五体不満足」という本がベストセラーになりました。
私も少し読ませていただきましたけれども、生まれながらにして身体が不自由である人が、本当にアッケラカンとして、明るく人生を生きておられます。

普通なら、「何の罪もないのに、なぜ私がこんな不幸な目にあわなければならないのか。」と、両親や社会を恨みながら人生を過ごすはずです。
ところが、生を受けて以来ずっと明るさを失わず、自分の身体が不自由であることをちっとも恨みに思うことなく、本当に生き生きとしている。
他人から見ればどんなに不幸かと思うようなことでも、それを不幸だと受け止めず、物事をすべて明るく考えている。
そのために、素晴らしい人生を送っておられます。

親にとって、子供が可愛いのは当然です。
しかし、可愛いからといってただ甘やかせばいいというのではありません。
「五体不満足」の著者を育ててこられたご両親は、子供に両手両足がなくていくら苦しんでいようとも、それを温かく見守りながら、やがて子供が自活できるように、すべてのことを自分1人でやらせました。

周りから見れば、それは鬼かと思うような残酷な仕打ちに映ったかもしれません。
しかし、そのおかげで、子供は1人の素晴らしい人間として成長しました。
つまり、これが大善です。
「大善は非情に似たり」とも言うことがあります。
まだ幼い手も足もない子供に、なぜそのような冷たい仕打ちをするのか、血も涙もないと一見思われる行為の中にこそ、素晴らしい人間を育てていくという大善があるのです。

この前も、発展途上国を支援するODAの広告に、「私たちは貧しい国の人達に魚を与えるということはしません。ただし、魚を捕る方法を教えます。」というような表現が載っていました。
ただ魚を恵むだけでは、食べてしまえば何も残らない。
相手にもらい癖をつけてしまうだけです。

今食べるものを与えるというのではなく、どうすれば食べていけるかという方法を教える。
お腹が空いて困ることがあっても、川に入り、海に入り、教わったやり方で魚を捕ればいい。
方法さえ身に付ければ、あとは自分達で生きていけるはずだという考え方です。
これが「大善」です。

先ほどのように、魚を恵む、お金を恵むというのは小善でしかなく、結局は自活できない人達を育てることになります。
そのような意味で、最近では慈善(じぜん)事業も、本当に相手を助けるということはどういうことかと考えるようになっています。

「利他」を考える場合、皆さんはこの「大善と小善」ということの意味を、十分理解していただきたいと思います。

コメント

小泉社長

(2015/08/04 13:32)

第76回目《大善の功徳と小善の功徳》のお話はいかがでしたか?

五体不満足の著者は乙武さんという方なのですが、2013年にレストランで車椅子を断られてブログが炎上したので知っている方もいるかもしれません。

私が乙武さんをはじめて知ったのは、夜中に何気なく高校生のバスケットボールをテレビで見ていたら、両手・両足のない乙武さんがスコアラーをしていて、乙武さんが中心になって作戦を立てていたところを見たのが最初でした。

アナウンサーが「体が不自由だから彼の周りに集まっているのではなく、彼の指示を聞きに周りに集まっている。」と言っていました。
その時は、驚きと同時に人ってなんでもできるものだと本当に感心しました。

その後、早稲田大学に進学され、アメフトのスコアラーをしながらテレビに出演されていて、その頃には大変有名になっておられ、将来どうされるのか大変注目されていましたが卒業後は学校の先生になられました。
この乙武さんのお話を通じて、大善と小善の違いについて理解してください。

理解してもらったら、新入社員さんには学校はお金を支払っていくところですから生徒に合わせて授業をしてくれましたが、会社はお客様や取引様や会社からの要望に答えられるように効率よく人材育成をし、社会からの要望に答えられるようになるとお客様から会社へ、会社からその対価としてお給料が支払われるということを理解してください。

上記のことを踏まえたうえで、社内では「大善は非情に似たり」ということを理解し、仕事を前向きに取り組むことで必ず良い結果が現れてくると信じております。

川邉さん

(2015/08/07 11:26)

おおよそ言いたいことは理解できたかと思う。

余談であるが、「五体不満足」著者の乙武氏の人格に関しては、本人によるTwitter等での発言を鑑みるに必ずしも
>物事をすべて明るく考え(中略)、素晴らしい人生を送っておられる
というわけでもなさそうだとの指摘が多数あるということはお伝えしておきたい。
それを見て、各人がどう感じるかは私の知り及ぶところではないが。

油谷さん

(2016/05/12 17:41)

その場しのぎでは、結局…となる。
ただ感じたことは、今をしのがなければ未来の切符が買えないシーンに出くわした時どのような答えが正解なのか様々な課題となった。

小泉社長

(2018/08/07 11:53)

成功事例として乙武さんを例題にあげているが、2018年の不倫騒動事件以来、成功事例としていいのか物議を醸し出している。
しかし、第59回目《不変の人格は仕事に打ち込む中で作られる》では、人は環境によって人格が変わることを話ししている。
よって、晩年人格が変わってしまった人物として捉えていただきたい。

前田さん

(2019/01/12 16:47)

五体満足では悩みなど書かれていなかったのですが、陰で苦労なさったのではないかと思います。

仕事をしていく上でお客様、職場の方がどうやってこちらが行動したら良いか、考えながら仕事を行いたいと思います。


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