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第233回目

株式会社サエラ -サエラフィロソフィ-

よく、アルバイトから社長になった!高卒だけど社長になった!中途採用だけど社長になった!など、入社当初に求められていた以上の仕事をして社長になる人がいます。

ここで、株式会社サエラの取締役になった正木氏の経緯をご紹介します。
株式会社サエラ「サエラフィロソフィ」からの抜粋です。

■小池副社長との出会い。
正木秀典と小池由久との出会いを説明するのは、少々ややこしい。
平成3年、正木は大学卒業後、ある病院で薬剤師として働いていた。

仲のよかった先輩が別の病院に転職し、しばらくして電話がかかってきた。
転勤先の病院で医薬分業を進めている、君も手伝ってほしいという誘いだった。
自分に真っ先に連絡をしてくれたことが嬉しかった。
約1ヶ月で新規オープンというタイミングだったが、正木は承諾した。

新天地で新しいメンバーと懸命に準備を進めた。
しかし、運命は予想もしていなかった展開を用意していた。
オープン10日前になって、店長が退職を申し出てきたのだ。
正木は急遽、このプロジェクトを仕切っていたコンサルタントから呼び出された。
それが、日本経営の小池副社長(当時)だった。

■悪いが、君がやってくれないか?
小池は単刀直入に、さらりと言ってのけた。
「店長が辞めたいと言っている。悪いが、君やってくれないか?」
ほかに誰もやる人がいない、正木に選択肢はなかった。

火中(かちゅう)の栗を拾うことになった。
調剤経験もわずか、調剤薬局も初めて。
それでも、患者様に迷惑はかけられないという思いと、周りの協力もあって、何とかオープンに漕ぎ着けた。

この薬局で約5年半の間、正木は店長を勤めた。
ないない尽くしの職場だったが、一つずつ改善を積み重ね、店舗も組織運営もようやく軌道に乗ってきた。

そんな矢先の平成10年(1998年)、正木は小池から転籍を命じられる。
店長を辞め、日本経営に来いというのだ。
小池は本格的に調剤薬局事業を進めると意思決定していた。

正木は不可欠だった。
小池は本当に必要な時は、条件提示などしない。
給与も決まらないまま、正木は日本経営に移籍した。

■サエラ2号店の開設と、店舗の原型。
平成10年(1998年)3月、入社して3ヶ月目に、正木はサエラ2号店、大阪市港区の店舗の開設を担当することになった。
店舗を開設するということは死にもの狂いである、これは今でも変わらない。

そして、予期しないことも起こる。
正木はかぜん負けん気が涌いてきた。
1人店舗に寝袋を持ちこんで、準備を進めた。

3月25日、この日は3回目の結婚記念日であった。
妻は多くを語らずに送り出してくれた。
お腹には次男がおり、出産間近だった。

店舗に泊まった初日、正木は午前3時の電話で息子の誕生を知った。
静まり返った店舗の中で、深い感動と感謝を噛みしめた。
銭湯に入り、店舗のキッチンの()てつくような水で顔を洗い、待合室の椅子で眠った。
行政の届出からレセコンの整備まで、やることは山ほどあった。

■2週間後、北陸に行けるか。
オープン当日、新店舗は無事、患者様を迎えることができた。
もちろん運営上の問題は山積しており、約1ヶ月半ほど正木の店舗での寝泊り生活は続いた。
しかし、この時の経験は、その後の「サエラ薬局」の原型となった。

平成10年(1998年)は、ほかに3店舗のサエラ薬局がオープンした。
翌平成11年(1999年)にはさらに加速し10店舗。
黒野や田中といった、猛者たちが集まってくれた。
ともかくがむしゃらに働いた、目的や意義など考える間もなかった。

しかし、病院の門前に調剤薬局を開設するというスタイルは独立自尊の事業とはなりにくい。
小池は新天地を求め、医薬分業の遅れている北陸に進出すると意思決定した。
自宅兼事務所を用意するので北陸に行けるかと、田中は小池から尋ねられた。
田中にも家族がある、今の仕事も山積みである。
「いつから行けばいいのですか?」「2週間後で、どうだ。」

■さらなる艱難辛苦(かんなんしんく)の道。
無理難題だからこそ、命じることができる相手は限られている。
田中はよくわきまえていた。
ただ、心強い仲間が引き抜かれていくことに、正木は正直反発もあった。

しかし、ほどなくして思い知らされた。
北陸出店は、サエラにとってさらに艱難辛苦の道であった。
地元では薬剤師を確保できず、同業からは露骨な妨害工作を受けた。

後に小池は次のように語っている。
「新しく事業を興そうとする時、私も含めてほとんどの人は自己中心的な目線で物事を思い描いてしまうものだ。しかし、得てしてそれではうまくいかない。事業には相手がある。相手の目線で組み立てができるまでには、どうしてもタイムラグがある。」

サエラの創業期は、のたうち回るようなものだった。
北陸では薬剤師が確保できない、大阪の薬剤師が駆り出された。
日曜日の最終電車で冨山入りし、月曜日から金曜日に店舗業務、その日の最終電車で帰阪することになった。

■これだけ奮闘しても、会社は赤字だった。
それでも、新規出店の手を緩めることはなかった。
帰阪した翌土曜日にはメンバーが集まり、1日かかりで新規の出店会議を行った。

こういう生活が、約3ヶ月続いた。
創業から走り続けてきた正木も、疲労のピークに達していた。
日曜日に自宅に帰ることもできなくなっていた。

ある日、とうとう妻と息子たちが富山まで来てくれた。
聞くと、息子たちが「パパのところに行く。」そう言ってきかなかったそうだ。
それでも妻からきつく言われてきたのだろうか、疲れている父親に気遣いし、息子たちは甘えずに我慢していた。
その姿が、正木の心に突き刺さり、目頭が熱くなった。

これだけ奮闘しても、度重なる出店で空家賃もかさみ、会社は3年経っても赤字のままだった。
小池の立場も、相当厳しかったに違いない。
「利益、利益」という言葉がよく耳についた。

■もう無理だ、辞めよう。
正木も変調をきたしていた。
何のために頑張っているのか、分からなくなった。
何のために出店するのか、何のために利益を上げるのか、会社のため、社員のため、家族のため…?

原因不明の熱が出て、数日出勤しては数日寝込むということを繰り返した。
「失敗はできない」というプレッシャーは、相当のものだった。
もう無理だ、正木は本気でそう思いつめた。

小池に退職届を提出した。
この時期の退職がどれだけ迷惑をかけるのか、十分分かっている。
周りからも引き留められた。

しかし、引き留められれば引き留められるほど、頑固になっている自分があった。
ほとんど振り払うようにして退職を認めさせようとし、小池に対しては育ててもらったという恩しかない。
しかし、会社というものが、何なのか分からなくなっていた。

■いつも自分が我慢するのですね。
小池も覚悟を決めていた。
具体的な退職時期の話になっても、一言も責めなかった。

「時期は君が決めて構わない。しかし、こんなに現場のことを考えている人間がなぜ辞める必要があるのだ。」「少しの間、外に出向に行くつもりで考えておくから、いつでも帰って来い。」
一番困るのは、小池なのである。

「なのに、弱音も吐かず、いつもそうやって全部自分が我慢されるのですね。」
正木の心の中にも、葛藤があった。
会社を辞める、それはもう決めたことだ。
しかし、初期の頃から一緒にやってきた現場スタッフから、辞めないでほしいと言われた。
さすがにこたえた。

ふと気づくと、会社の批判をしているのは自分だけで、周りの誰も、一言も自分を責めていないのだった。
正木は退職を踏み留まった。
「この半年で会社が変わらなければ、やっぱり辞めます。」そう伝える正木に、「分かった。それで構わん。ただ、会社を変えるのはお前がやれ。」小池からそう言われた。

■小池の満面のはにかみ笑顔。
この時の正木の言動に対して、「辞めさせるべきだ。」と進言する声もあったと、数年後に聞いた。
すでにそれなりの規模になっている組織である、周囲への影響を考えても当然のことだ。

しかし、その時小池からこう言い切られたとも聞いた。
「私は(この事業は)正木と心中するつもりだ。」
後足で砂をかけようとしている自分に、なんという言葉なのか。
この時の小池の心情を思って、正木は涙が止まらなかった。

正木が現場に戻ってきた、またがむしゃらに働く毎日である。
店舗は増え組織規模も拡大し、毎月棚卸の実施・店舗別採算とエリアマネージャーの設置・出店基準の厳格化などを進め、サエラは確実に黒字を出す体質へと転換していった。

初めて社員に成果配分が出された年がある。
小池は満面のはにかみ顔だった。
「こういった時くらいしか、良い顔をしてやれないからな。」

■ワン・オブ・サエラ。
日頃の厳しさを半ば冗談めかしての言葉だったが、正木にはズシンと重く響いた。
自分はトップのそのような気持ちも知らずにいたのだと、初めて気づいた。
社長に少しでもいい顔をしてもらいたい、そのためには、自分が嫌われ役になることだ。

自分だけが安全な場所にいて、社長1人を裸の王様にするようなことは、断じてできない。
もう迷いはなくなった、小池が事業を創った。
事業を通して、そこに集う仲間たちが育った。
その育った仲間たちが、1人1人が主人公になって、事業の目的・意義を創っていく。

そこで働く従業員や家族の願いが、サエラの目的・意義を創ってきた。
正木の体験・物語は、ワン・オブ・サエラである。

1人1人が自分が主人公の物語をそれぞれ(つむ)いできた。
そして今日も、あえてできもしないような高い目標を掲げて明日のサエラを切り拓いていくのだ。

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